医療費の抑制と医療の質

清水 顕子


序論

 国民の医療を見る目が厳しくなっているという。薬づけ、検査づけ医療といわれて久しいが、近ごろではインフォームド・コンセント(患者が医療行為の内容を医師から十分に説明されたうえでその実施の可否を自分で選択すること 『朝日新聞社 知恵蔵』)の不足に対する批判も耳にするようになった。
 ところが、諸外国から眺めると日本の医療は非常に優れているといえる。その根拠としては、日本の0歳平均余命や乳児死亡率などの保健指数が、世界の最高水準にあることがあげられる。こうした成果は、国民の間での所得格差が少ないことや、教育水準が全体的に高いことに負う点が大きいにせよ、医療自体の果たしてきた役割も無視できない。
 そして何よりも、日本では高騰し続けていると信じられている医療費の伸びは、1980年代になって抑制されたため(図1)、むしろ世界的には低い水準にあることで注目されている。

 ここでいう「医療費」とは、患者が病院の窓口で払うお金ではなく、国全体として医療に使っているお金のことである。「医療費」に含む内容を同じ基準に揃えて計算したOECD(経済協力開発機構)の統計によると、図2に見られるように、日本は1人当りの金額からみても、また対GDP(国内総生産)比でみた場合でも、主要先進諸国の中ではイギリスに次いで低い値である。
 ところが、図1からも分かるように、1980年代に一連の政策的対応が実施されるまで、1970年代には医療費が高騰し続けていたのも事実である。

 そこで、ここでは日本での医療費の抑制を可能にした構造に焦点をおき、その一連の政策的対応が一体どのようなものであったかを分析する。そして、最終的に一連の政策的対応によって医療費が抑制されたことにより、昨今問題視されている”医療の質“が落ちてしまったのかどうかを分析したい。
 まず第1章では日本の医療政策を決定する厚生省と日本医師会の特徴と、医療費政策において果たしている役割を述べる。
 第2章では、その中で1980年代になって医療費の抑制を実現した政策的背景を分析する。
 第3章では、医療費の抑制が具体的にどのように達成されたかを、医療機関側、医療費を賄う側の2つの立場から分析する。
 そして第4章では、昨今最も批判を受けている医療の質の問題について、5つの側面についてそれぞれの原因を考えた上で、それらが医療費の抑制によって起こってしまったのかどうかを分析する。

第1章 医療政策の決まり方

 医療制度はそれぞれの国の、社会的、文化的、経済的要因がからみあって形成されており、また歴史の偶然によって決まった要素もあるので非常に複雑である。
 日本の場合、医療政策を形成する主役は厚生省と日本医師会で、他は両者の支援者であるか、介入できない観客であるか、のいずれかである(星野一正著 『医療の倫理』)。この2つの主役の特徴と果たしている役割を以下述べることにする。
 まず、この2つがなぜ主役であるかというと、日本の医療政策は当初から医療体制の統制を目指す厚生省と、医師の裁量の自由を確保したいとする日本医師会との対立で特徴づけられているとするからである(池上直己、J.C.キャンベル著 『日本の医療』)。
 次にそれぞれを個別にみてみると、以下のような働きや特徴がある。

<厚生省>
 厚生省は昭和13(1938)年に誕生した、もともと国民の体力向上を目指した陸軍の強い要望により設立された。この時、内務省の社会局と衛生局が移管されたため、内務省色が強い省であった。また、内務省は地方政府と警察を所管していたこともあって(『日本の医療』)、社会政策の中心は左翼による社会不安や労働運動への対策にあった。そして今日の医療費体系の基礎を築いた大正11(1922)年の健康保険法も、こうした目的の延長線上にあった(『平凡社大百科事典』)。
 厚生省の仕事は創設当時から当然ながら医療と福祉が中心であり、まもなく年金が加わって、これら3つの分野を所管するようになった。年金政策は比較的独立していたが、医療と福祉は互いに多くの分野で関連していたため、長いこと競いあっていた。
 医療の分野においては、主要な所管は医療保険、医療従事者の資格制度、保健所に代表される公衆衛生業務、国立病院の管理、及び薬剤や医療機器の規則がある。医療費政策のなかで中心的な役割を果たしているのが保険局、なかでもその医療課である。これは他の技官ポストとは異なり、医療保険が国家財政に大きなウェートを占めていることから、厚生省本流の強い管理下に置かれている(『日本の医療』)。
 以上のように、医療と福祉の対立こそはあるが、省内には医療政策に対して旧内務省の考え方に基づいた基本的なコンセンサスが形成されている。他の分野と比べてこのように合意が得られてきた背景には、日本医師会との長い間の対立抗争の結果、省内の団結が得られやすかったことが原因として考えることができる。

<日本医師会>
 日本医師会のルーツは大正5(1916)年に、慶應義塾大学医学部の初代部長であり、医学界の重鎮であった北里柴三郎が大日本医師会を創設したことに溯る。(『平凡社大百科事典』)この大日本医師会は戦時下においても開業医の利益を守り続けることができたが、医師は強制加入となって政府の翼賛体制に完全に組み込まれた。
 こうした体質を改めるため、昭和22(1947)年に占領軍の民主化政策の一環として日本医師会となり、再出発した。任意加入の全国組織となり、都道府県医師会、郡市区医師会への加入が日本医師会加入の前提となった。
 日本医師会の政治的影響力には、諸外国の医師団体と同様に、かなりの裏付けがある。第1に医師の存在は医療システムが機能するためには不可欠であることにある。そして日本医師会は、少なくとも開業医についてはほぼ完全に組織しているので、いざという時にはスト(保険診療の拒否)を行うこともできる、という大きな脅威力を持つことにある。第2に、医師を代表する他の有力団体がないので、これらの賛成か黙認なくしては日常の医療行為、医療政策が遂行できない点である。従って、日本医師会は各種委員から推薦委員を総引き上げするという手段に訴えることができることにある(『日本の医療』)。
 さて、日本医師会は何を目指してきたのであろうか。公式のものについては医の倫理、科学と教育の発展、国民医療の増進であったというが、非公式なものについては、医師の地位の向上や、医療分野における医師の指導性の確保等、すべて政策に関連深いものであるという指摘もある(伊東光晴著 『生活のなかの経済学』)。これは昭和30年代後半におけるものであるため、その後日本医師会をとりまく環境もかわったために戦略も変化してきたが、こうした目標には一貫性があるために、今日においてもあてはまるといえるだろう。

 以上のように、厚生省は政策理念として官僚の策定した計画に従って医療を平等に提供しようとする「公衆衛生」を考えているのに対し、日本医師会は各医師がもつ技術を誰からも干渉されることなく医療として実践する「プロフェッショナル」を考えている。このように、両者はそれぞれ基本的に異なる考えや目標をもっており、言ってみれば敵同士の関係にある。しかしながら重要なことは、両者のトップはともに、それぞれ相手がなくてはならない存在であることも十分認識してきた点である。

第2章 医療費抑制の背景

 前章で紹介したように、厚生省と日本医師会の両者は激しく対立していたが、そこで新たな政策理念が厚生省の中から誕生した。昭和40年代後半になると医療の量的拡大という政策課題がほぼ達成され、昭和50年代前半になると論争そのものがしだいに儀式化し、医療費を抑制する必要がしだいに前面にでてくるようになり、昭和50年代後半になると臨調による財政の健全化が至上問題になり、医療環境の根底には医療費の増大と財政赤字の拡大、および欧米における政府に反対する思想的、政治的運動の台頭があった(『日本の医療』)。
 こうした背景で、厚生省はアメリカで主流となっていた「医療経済」という新しいイデオロギーに飛びついた(ただし、医療費抑制を正当化するための論拠として主に取り上げられたので、本来はその思想の根幹に位置するはずの個人の選択や競争原理という面は無視される形となった)。この厚生省が提唱した「医療経済」は日本医師会にとって決して都合のよいものではなかった。この思想はシカゴ学派の伝統に従ったもので、規制を利用して過剰の利得を享受している者が攻撃の対象となり、日本の医療の場合、それは医師免許によってその立場が守られている開業医に向けられるためである。
 けれども、このような厚生省の動きに対して、日本医師会としてはそれに対抗した新たな理念を提示できなかった。その理由の1つは、政策における優先課題が量的拡大より医療費の抑制に移ったため、日本医師会として自らを正当化する新たな論拠を見出だすことが困難になったためである。その結果、医療システムを抜本的に改革したり、全体の財源を増やすということよりも、開業医に配分される財源維持を優先するようになった。こうした立場からすれば、病院の拡大は医師会にとっては脅威となるため、昭和50年代の後半には病院の病床規制を内容とした医療計画にも賛成するようになっていった。
 こうして医療政策におけるイニシアティブは厚生省に移り、昭和50年代後半には医療費を削減するための、様々な措置が断行されていった(『日本の医療』)。
 次章では具体的にどのような医療費抑制政策がとられてきたのか分析する。

第3章 医療費抑制の仕組み

 はじめに述べたとおり、1970年代において急速にのびていた日本の医療費は、1980年代に入って一連の政策がとられるとぴたりと止まった。前章までで述べたように、それは医療政策を推進する二者が大きく関わっている。しかしよく考えてみると、1980年代以後も各医療機関に対しては出来高払いで支払われており、診療報酬を改定する際には引き続き日本医師会の合意を得る必要があった。つまり、医療費が決まるプロセスが基本的には変わらなかったにもかかわらず医療費は抑制できた、ということは日本の大きな特徴である。
 本章では医療費が具体的にどのように達成されたかを分析する。

<日本式医療費の抑制策>

 医療にお金を使おうと思えばいくらでも使うことができる。医師も患者も日進月歩で発達している医療技術をできるだけ利用したいと考えており、また入院した場合には看護スタッフや病院環境ができるだけ充実していることを望んでいる。ところが、一方では国民全体としては医療にあまりお金を出したいとは思っておらず、一般には給料から天引きされる保険料や税金はできるだけ少ない方が良いと考えられている。
 医療政策が前者のほうだけを向いていれば、当然のことながら医療費は高騰する。逆に後者の方だけに向いてしまえば、医療環境は悪化する。そこで、こうした難題を解決するためには、医療費を使う責任と、医療費を賄う責任を1つの機関が同時に持つ必要がある。日本の場合、それは中央社会保険医療協議会(中医協)にある。中医協とは、厚生大臣の諮問機関で、診療側委員8名・支払い側委員8名・公益委員4名の三者によって構成されている(『平凡社大百科事典』)。会議では、よりよい医療の提供と医療施設の経営の安定を目指す診療側委員と、保険団体の財政の赤字と被保険者による保険料負担の上昇の抑制とを意図する支払い側委員との間に激しい論議がしばしばなされる。そして中医協からの答申に従って厚生大臣は、個々の医療行為や薬剤の保険点数をおよそ2年おきに改定している(『日本の医療』)。(診療報酬の価格は、個別の医療行為ごとに点数が定められており、その点数に単価(10円)を乗じた額である。このため「点数単価方式」あるいは「個別出来高払方式」といわれている。 『平凡社大百科事典』)
 改定の作業は非常に複雑である。改定の根拠となるような統計を用意したうえで、日本医師会や大蔵省などと折衝する必要があるのである。つまり、改訂幅は政治の次元だけで決まるわけでもなく、また統計数値に基づいて機械的に決定されるわけでもない。いずれにせよ、こうした作業を行うに当っては、医療費の使い方、賄い方の両方を決める実質的な責任があるといっても過言ではない。以下では、医療費抑制の仕組みを、医療機関側と医療費を賄う側の2つの立場から分析する。

◎医療機関側からの分析
 それでは具体的にどのようにして行うのであろうか。医療サービスの部分(全体の約7割)と薬剤の部分(約3割)に大きく分けられる医療費であるが、医療機関における実態を把握するために診療報酬の改定が行われる前の年に、それぞれについて調査が実施されている(これらの調査により、医療機関の経済状況や薬剤の取引価格が直接明らかになるので、実施の方法を巡って厚生省と日本医師会は今日においても対立している)。
 まず医療サービスについては、医療経済実態調査が全国から抽出された病院と診療所を対象に実施され、賃金や物価・薬剤費の動向等が各医療機関の支出の構成比にどのような影響を与えたかが、収集された財務データにより明らかにされる。こうした支出の増加に対して、全体として見合う程度の引き上げを行うことが診療報酬を改定する際の原則であり、1970年代においてはこの原則がほぼそのままひきつがれていた。
 ところが、昭和56(1981)年以降、支出増は診療報酬の引き上げにそのまま結び付かず、医療費全体の増加分を差し引いたうえで改定幅を決める方式にかわった。つまり、医療費の増加は医療機関にとっては収入増の部分を差し引いたうえで改定されるようになった、というわけだ。確かに診療報酬の改定を行わなくても、高齢化による患者数の増加や技術の進歩による医療の高度化によって医療機関の収入は増えるので(これを「医療費の自然増」と呼ぶ)、それをある程度考慮するのは妥当かもしれないが、「自然増」部分を全部差し引いてしまうのは、例えば電鉄会社において特急列車の増発による収入増があれば経費増は全て吸収できるので運賃を値上げしなくても良い、という議論と同じであり、結果的には収入を増やすために必要であった人員の増加や車両の整備費等が無視されるのと同様に、病院における経費増が考慮されないことになる。このため1980年代においては、「自然増」部分が控除されて診療報酬が実質的にはほとんど引き上げられなかったため、赤字の病院が増えたなどの問題も発生した。だが、医療における「コスト」の概念が必ずしも明確でないこともあって、医療費を抑制するべきであるという大合唱の前に「自然増」部分を差し引く方法が定着するようになった(『日本の医療』)。
 次に薬剤費の部分についてであるが、これについては、全国の医療機関と問屋を対象に「薬価調査」が実施されている。この調査の目的は、医療保険で決めている各薬剤の公定価格(これを薬価という)と、医療機関が問屋より購入する市場価格との乖離を調べることにあり、調査の結果、乖離幅が許容される範囲よりも大きかった場合には、その薬剤の薬価は引き下げられる。そして、薬価の引き下げによって浮いた財源が、医療サービス部分の診療報酬の引き上げに利用される、というわけだ(『日本の医療』)。
 以上の説明では、この2つの調査結果によって診療報酬の引き上げ幅は機械的に決まるような印象だが、実際にこのプロセスはもっと複雑である。医療機関の支出増の算定、および賃金や物価等の変動を数値化するには様々な方法があり、そのどれを採用するかは政府全体の予算や保険料収入などの財源面との関係で決まる要素が大きい。そして、このようにして決まった改定率もまだ原案にすぎず、これに基づいて一方では大蔵省、一方では日本医師会を始めとする関係団体との折衝が重ねられ、最終的な引き上げ幅が決まることになる。

◎医療費を賄う方からの分析
 それでは次に、医療費を賄う側の立場にたってみたいと思う。
 医療費を賄う方法は次の3つである。最も大きく、全体の5割強を構成する保険料、次に全体の3割を構成するのが国や地方自治体の一般財源、そして残りが、患者が医療機関の窓口で支払っている自己負担である。医療費を賄う上でいずれも重要であるが、3年おきに行われる診療報酬の改定に際して、決定的な役割を果たすのは、一般財源と保険料である。
 まずその1つである国の一般財源(所得税、法人税、消費税など)は、国民医療費の約4分の1を賄っている。一般財源からの歳出は大蔵省が作る予算にすべて計上する必要があるので、医療費に対する歳出も当然ながら全体予算の中に組み込まれなければならない。医療費に対する一般財源からの歳出は防衛費全体にも匹敵する規模であるので(『朝日新聞社 知恵蔵』)、大蔵省としてはその歳出は大きな関心事であるはずだ。ところが、一般財源からの医療費に対する歳出のほとんどは政管健保と国保に対する助成であり、その額はこれらの保険によって賄われている医療費の一定割合であるので、医療費が増えれば国の負担も増えてくる。したがって、国の負担額を決めるためにはこれらの保険で賄われている医療費を推計する必要がある(『日本の医療』)。
 医療費は前で紹介したとおり、各診療行為の価格(保険の点数)にそれぞれが実施された回数をかけたものである。このため前者は診療報酬によって統制できても、後者は各医療機関で実際に提供した回数に応じた出来払いで支払われているので、本来ならば直接コントロールできないはずで、厚生省としては医療費をあらかじめ予測することはできないはずなのであるが、実際には様々な手法を用いてコントロールをしているという。このため診療報酬の改定幅(価格)が決まれば医療費全体を比較的正確に予測することが可能となっている。
 もう1つの保険料であるが、この中でも診療報酬の決定にともなって最も問題となるのが政管健保の保険料である。政管健保(政府管掌健康保険)とは、健康保険の保険者のうち、健康保険組合ではなく政府が運営するものである。また政管健保は保険者の中で最大の規模であり、財政状況についても明確に捉えることができる。このためこの動向は注目される。さらに、政管健保を運営しているのは厚生省、特にその中の保険局である。つまり、保険局の中には医療費の推計を行い、診療側と交渉に当っている医療課と、日本における最大の保険者である政管健保を管轄している企画課の両方がある(『平凡社大百科事典』)、ということになる。仮に医療費を過少に推計してしまった場合には支出過剰となり、厚生省保険局の責任で不足部分をどこからか捻出しなければならない。具体的には、保険料を上げるか、あるいは大蔵省に助成額の増額を求めるかのいずれかを行う必要がある。ところが、1980年代においてはそれがきわめて困難なことであった、というわけだ。
 政管健保の支出過剰に対して保険料を上げることも大蔵省の助成額を増やすことも困難ならば、支出過剰を避けるためには診療報酬の引き上げを抑制する必要がある。その結果、診療報酬の改定はすべての保険者に適応されるので、財政的にゆとりのある保険者の黒字幅は大きくなり、それを保険料の引き下げか保健予防面の給付の充実にあてることができる。反対に、政管健保における給与に対する保険料率が変わりなくとも、経済が大きく成長すれば給与が上昇するので保険料収入も増える。その結果、もし中小企業従事者全体の平均給与の伸びより、ある組合健保か国保に加入している被保険者全体の平均収入の伸びの方が低かったならば、これらの保険者は赤字になり、それを保険料の引き上げか、保健予防面の給与の削減によって対応しなければならない(『日本の医療』)。
 政管健保は日本の医療保険全体の独特で多様なシステムを可能にしているといえるだろう。そして医療費抑制という観点からすれば、現制度は1980年代以降うまく機能しているといえるだろう。その成功の理由としては、

  1. ほとんどすべての医療サービスに対して同じ支払体系(診療報酬)が適用され、全国レベルで設定された価格が全部の医療機関に適用される、という診療報酬の一本化。
  2. 社会の経済(景気)に合わせて診療報酬を決めることが確立されており、方法論を巡って診療側と支払い側の対立がない。
  3. 保険料以外の財源を得ることは困難であり、そのため保険料の収入の範囲に支出を基 本的に留める必要がある。
  4. 財政当局や保険者のほうが診療側よりも大きな力を持っており、医療費の総枠を決め る交渉を有利に展開できる。
  5. 各保険者の財政状況はほぼ同じであり、診療報酬が一律に適用されても、大幅に黒字 になったり赤字になったりする保険者は少ない(財政状況の近似)。


という5つの条件が満たされたためであると考えることができる。
 この5つの条件はそれぞれ別の時期から充足されるようになり、1は昭和33(1958)年、2と3は48(1973)年、4は56(1981)年、5は58(1983)年であった(『日本の医療』)。つまり、これらはその時代において緊急を要した課題に対して採られたその場の対応策であり、決して全能な官僚がつくった合理的な長期計画に沿ったものではなかった、ということも真実である。
 このように、医療費の増加に対応するための新しいルールが確立されるまでには、複雑な要素が関与しており、達成までにも長い年月を要した。そして現在では、日本の制度は医療費の増加に対しては非常に硬直的に対応するようになった。政管健保が黒字になっても、それは診療側が望む診療報酬の引き上げにすべては振り向けられず、一部は保険料の引き下げという形で使用者と被用者に、また助成率の引き下げという形で国民の税負担の軽減に還元されている。このように、医療費・保険料・国の助成割合すべてがリンクされていることが、医療費を抑制する上で大きく貢献しているといえる。

第4章 医療の質の問題

 これまでの章から分かるように、日本の医療制度には医療費を低く抑えるための様々な仕組みが用意されている。が、その結果、質の面はどうなっているのだろうか。医療費を抑制できても”安かろう、悪かろう“では困る。確かに序論でも述べたとおり、乳児死亡率や平均寿命などの保険指標について見れば日本は非常に優れているといえるが、一方で医療に対する不信がささやかれていたりと、身近な側面については問題がないとはいえないようだ。世論調査の結果を鵜呑みにすることはできないが、日本での医療に対する満足度の調査では「非常に満足」と答えた人が16%にすぎず(平成2年ハリス報告による)、アメリカやカナダの55%と比べて格段に低い割合であることが分かる(『日本の医療』)。
 本章では、まず「不満」とされる問題点5つを取り上げ、それぞれの原因について分析する。そして、それらがもっとお金を使えば解決できることなのか、あるいは制度や日本の文化的な要因が根底にあるのかを整理していく。

<5つの問題点>

 日本の医療における問題点は大きく分けて考えると次の5つである。第1点目は、「3時間待っての3分診療」で代表されるような、長い待ち時間と短い診療時間。第2点目は、医師の説明が不十分である点。第3点目は、諸外国と比べて施設面でも人の面でも見劣りする病院の姿。第4点目は、世界的にあまり評価されていない日本の医学研究のレベル。そして第5点目は、これまで日本ではあまり取り上げてこられなかった、医療システムとしての質を論じるうえで最も本質的な課題であるといわれる医療従事者のプロフェッション(専門職)としての質、である(『日本の医療』)。

◎3時間待っての3分診療
 1955年の健保連(健康保険組合連合会)の調査によると、「診療に対する不満・疑問」が「ある」と回答した全体の4分の1のうち、その理由として45%が長い待ち時間をあげている(『日本の医療』)。
 日本での待ち時間が長いことは事実であり、問題視されるのも無理はないのだが、その理由はいたって単純である。それは、患者が質の高いと思う医療機関を自由に訪れることができるからで、実際長い待ち時間は一般に大病院に限られたことであり、開業医の診療所や中小病院での待ち時間はずっと短い(『生活のなかの経済学』)。待ち時間を短くする方法として予約制があるが、予約制にすれば1日でみられる患者の数は制限されてくるため、人気の高い医療機関や医師の場合には何か月も先でないと予約がとれない、という欧米のようになる。つまり、現実に可能な選択は、思い立ったその日に受診できて何時間も待つか、あるいは訪れた時にあまり待たなくてもよい予約がとれるまで数週間待つかである。
 このように、訪れる患者に制限を設けていない日本の現状で、診療時間が短くなってしまうのは当然のことなのである。沢山の患者をみようとすれば、時間をできるだけ効率的に使う必要がある。そのため、患者はさながら工場のベルトコンベヤーに乗ったように流れ作業で対応がなされてしまう。
 さて、「3時間待っての3分診療」に対しては、これまで様々な対策が講じられてきた。その1つは、大病院を受診できる患者を開業医が紹介した患者に制限することである。この方針は国立の癌センターなどでは定着しているが、公立の大病院については各自治体が運営しているだけに、そこの住民が直接受診したいという要望をむげに断ることは容易なことではない(『日本の医療』)。
 2つ目は価格による調整である。経済の一般原則では、サービスを待っている人が多いということは、価格が安すぎることを意味している。したがって医療の場合も仮に自分の判断で大病院に行けば開業医を訪れた場合と比べて数倍の金額を自己負担しなければならないようになれば、おそらく患者は大病院を敬遠するようになると思われる(『生活のなかの経済学』)。実は現在でも大学病院を紹介なしで訪れた場合には、別途で1550円払わなければならない(『日本の医療』)。だが、これ以上の料金とした場合には金持ちしか大学病院を訪れることができない、という非難が必ずおこるので自ずと限界がある(『生活のなかの経済学』)。
 3つ目には薬の処方期間の延長がある。厚生省が定めたてんかんなどの慢性疾患に対しては、1回30日、ないし90日を処方することが認められるようになった。しかし、これ以上の拡大については、「薬づけ医療」に対する警戒が根強いために、慎重な姿勢がとられている(『日本の医療』)。
 以上のように、これまでとられてきた対策は成功していない。その結果、待つことの少ない開業医を受診するか、あるいは待つことを覚悟しても質の高そうな大病院を受診するかは、患者の判断に任されている面が大きい。そして、後者を選ぶことが増えているので、大病院の混雑はますますひどくなっていくのである。
 いずれにせよ、「3時間待ちの3分診療」の本質は十分に理解されておらず、たとえば公的病院をもっと作るというような形で医療にお金をつぎ込むだけでは解決できない問題である。

◎医師の説明が不十分
 医師が自ら行った診療について十分な説明を行わず、患者に対して情報を提供しない、ということが問題視されている(『生活のなかの経済学』)。先の健保連の調査によると、不満の理由として待ち時間と同じぐらい多いのが、説明が不十分な点であるという。なかでも薬の作用や副作用に対する説明がないことに対する大きな不満があり、処方された薬が何であるかが分かる本がベストセラーとなっている。また、患者は自分のカルテを見ることが許されておらず、医師にも治療方針の決定権を患者にゆだねるなどの姿勢はなく、インフォームド・コンセントということは日常の診療場面に定着していない(『日本の医療』)。このように情報開示が不十分であったことが、医師に対する不信に拍車をかけてきたようだ。しかし一方で医者側からは、説明が不十分であるという批判に対して、多数の患者を短い時間でみなければならないので説明するための十分な時間がないという反論もある(『医療の倫理』)。また、診療情報をカルテにきちんと整理して記録するためには専門の病歴士が必要であるが、こうした人材の量的・質的不足も理由としてあげられる(『日本の医療』)。
 しかしながら、医師の説明が不十分であることが大きな不満の材料となっていることには変わりなく、また医師の権威的な態度もしばしばやり玉にあげられている。なぜこうした反感が抱かれるのであろうか。第1に、医師や病院が不足しているために、患者に親切にして確保することを考えなくてもよいことが原因として考えられる(『生活のなかの経済学』)。確かに全体としてみれば、現在は過剰の方がむしろ問題となっているが、質が高いとされている大病院は依然として不足している。これらの病院は補助金等によって支えられているので、補助金には限度がある以上、不足が解消される目処はたっていない。第2には、訴訟を起こしにくい日本の司法制度も原因の1つである。なぜなら、日本の医療訴訟の数は少なく、平成5(1993)年に新たに提訴されたのは440件にすぎない。そのため、医師がインフォームド・コンセントについて真剣に考える必要はあまりなく、また責任を追及されたりすることも比較的少ないと考えられるためである。第3の原因は、日本の文化にある。日本人は医師ばかりでなく、官庁や会社も一般に外部の者に情報を提供したがらない。コミュニケーションを成立させるためには、長い間にわたって接触が繰り返される必要があるのに、その場合も日本では以心伝心による情緒的な交流である。かつてのような開業医と患者が同じ地域社会に暮らしているという状況であれば、このような関係を作ることも可能であったかもしれないが、現在の医療は専門分化しており、医師との接触もその場限りであることが多い。したがって、医師と患者の間に契約的な関係を確立する必要性は高まっているというのに、日本でこのような関係を結ぶことは不自然な感じがすることに問題がある(『日本の医療』)。
 これら3つの要因はいずれも構造的であり、それだけに改善するのは困難である。もっとお金を投じても、病歴士の参入が増えることによって、カルテの内容が若干改善される程度に留まってしまうだろうと考えられる。というのも、根底にある問題は単にカルテの管理という事務業務ではなく、後述するようなプロフェッションとしての責任の取り方という、より本質的な課題であるためだ。

◎貧弱な病院
 日本の病院とアメリカの病院を比べてみると、施設面でも人員配置の面でも一般に見劣りする。1人当たりの住宅面積がアメリカの水準の3分の2(『ジュニア朝日年鑑』)であることによって一部は説明がつくとはいっても、日本の1ベッド当たりの床面積はアメリカの4分の1。病室の構造をみても、日本の病室全体に占める個室ないし2人部屋の割合は1割程度に留まっているのに対して、アメリカの場合はほとんどがそうである。さらに人員配置においても大きな格差があり、日本で最も充実している大学病院の場合でも、アメリカの病院全体の平均の3分の1程度である(患者1人当たり職員全体で日本の大学病院が1.85であるのに対してアメリカの病院は5.54、同じく看護婦は0.67に対して1.58、いずれも平成2年の値)。私的病院と比べた場合に格差はいっそう大きくなり、日本では私的病院の数が圧倒的に多いので、日本の病院はおしなべて貧弱であるという印象が強まってしまう(私的病院には補助金がでないので、公的病院と比べて1ベッド当たりの床面積は半分程度であり、また人員配置の水準も2割程度低い)。尚、こうした公私格差があるために、大病院に患者が集中し、先にあげた「3時間待っての3分診療」や説明の不足といった問題をより深刻にしている。
 とはいうものの、日本の病院をよくしたいと思うならば、もっとお金をかける必要があることだけは確かである。ただその際、アメリカの基準を理想として実行するには、いささか無理があるのも事実である(『日本の医療』)。

◎見劣りする医学研究
 日本の大学医局は診療よりも研究を重視しているにもかかわらず、その成果は必ずしも世界からは評価されていない。この分野の見劣りする理由は、ひとえにお金が足りないことがあげられる。文部省も厚生省も研究費をあまりだしておらず、しかも文部省の場合は、業績の質にあまり関係なく硬直的に配分する傾向が強い。厚生省はより弾力的であるが、研究費の総額はアメリカのNIH(国立保健研究所)の10分の1以下に留まっている(NIHはアメリカ連邦政府の研究歳出総額の半分を構成)。しかも日本の場合は、戦時統制下に設けられた寄付に対する厳しい免税制度が未だに適用されていることもあって、会社や財団等の私的部門からの助成も相対的に少ない。
 ただし、こうしたお金の面以外にも、大学医局における厳しい上下関係が創造的な研究を行うには適さない環境である点にも留意する必要がある。つまり、大学医局が教授を家父長とする閉鎖的な組織であり、あたかも茶道のように代々築かれた遺産を伝授することに重きをおいている、ということである。そのため門下生の中で最も忠実な弟子が教授職を引き継ぐ傾向が強く、有名大学では教授の9割近くが卒業生によって占められている。このような環境では、研究に対して厳正な評価を行うことは難しい。尚、そもそも日本の大学は明治時代において、創造的な研究を行うためではなく、西洋の知識を効率的に伝播するために創設されたということも留意する必要がある。
 確かに基礎研究は重要で、日本はもっとお金をかけるべきなのかもしれないが、一方ではアメリカにおけるヨーロッパと比べても突出した膨大な研究投資が医療の質の向上にどれだけ貢献しているかを考えてみることも必要だ。なぜなら例としてガンをとってみると、アメリカにおけるガンの死亡率は昭和25(1950)年から平成2(1990)年の間に実質的には低下しておらず、また遺伝子治療は脚光を浴びながらもその効果は未だ十分に確立されていない、などということがあるためである。いずれにせよ、公平な医療の提供等の全体とのバランスを保つ必要があるのも確かだ(『日本の医療』)。

◎プロフェッションとしての質
 医師を始め医療従事者のプロフェッションとしての質は、これまでの4つの問題と比べて日本ではあまりとりあげられないというが、医療の質を考える上での中心的な課題である。
 患者の立場からすれば、医療において最も求められているのは、自分の病気が的確な治療によって治ることである。したがって、質の高い医療とは患者がよく治る医療である(『生活のなかの経済学』)。ところが、患者が治るかどうかは、医師や病院の質によるところもあるものの、それ以上に大きな要素は患者の病気や体質であるため、後者の程度が揃っていなければ、医療の質を測ることはできない。
 ところが、患者の特性を揃えて医療の質を測ることは非常に難しく、アメリカでは膨大な研究費をつぎ込んではいるものの、関係者が納得できるような方法論を確立するには至っていない。そこで、実際には医療の質を測るためによく用いられているのは、十分な資格を持った者が医療を提供しているか、あるいは施設設備が整備されているか、という「構造」面の評価と、同僚の専門家からみて妥当な方法で医療が提供されているか、という「プロセス」面の評価である。
 「構造」面に関して、施設についてはすでに述べたので、ここでは人材面についてみることにする。「いかにして最適な医療を提供できるような医師や医療従事者を養成するか」。この目標を達成するためには、「最適な」方法とは何であるかを確立し、さらにそれを体系的に教え、かつ教育の成果を評価する体制が必要となる。ところが、日本ではこうした条件を満足することは非常に困難である。なぜなら、日本においての医学教育の内容は各医学校によってかなり異なり、そのうえ卒業後も大部分は母校の大学病院で研修をうけ、さらに開業しない限り、生涯大学医局の関連病院の中で働くことが多く、医師がこのように相互に孤立した大学医局に組み込まれているため、すべての医師が合意できるような「最適」のスタンダードとは難しい課題となっているためである。
 次に、「プロセス」面についても、日本のレベルは低い可能性が高い。カルテの内容を定期的に点検し、質を確保するために必要なあらかじめ決められた手順が守られているかどうかなどをチェックするQA(Quality Assurance、品質保証)の体制を確立している病院はきわめて少ない。また、外部の評価は行政による患者あたりの医師数や看護婦数等をチェックする医療監視に限られているのだ。したがって、実際のプロセス面の評価は、大学病院や研修病院等で行われる先輩医師の指導に限られているといえる(『日本の医療』)。
 このようにプロフェッションとしての質に問題がある大きな理由は、大学医局の中の縦の関係のほうが、専門医同士の横の関係よりも強いことにある。だが、こうした縦の関係の優位は何も大学医局に限ったことではなく、日本の社会に広く見られる現象で、大学医局の中で働く医師の姿は、大企業における終身雇用と似た状況があり、また医局同士が有名病院の医長の座をめぐって競争する様はさながら企業のシェア獲得競争と同じである。そこで問題は、企業においてはそれなりに機能している組織の形態が、なぜ医療の分野では弊害が多いかである。その1つの理由は、大学病院で研修を受ける医師は大部分1つの医局(診療科)でしか研修を受けず、病院全体を見る視野は育てられていない。もう1つの理由は、大学医局は病院の医長職等や研究費を巡って競争することはあるが、患者を獲得するためには競争する必要がないことにある。
 いずれにせよ、日本の社会では集団の能力と縦の関係が重視されるので、個人の能力と同僚の横の関係を重視するプロフェッションの文化は育ちにくい。しかし、ここでプロフェッションの弊害についても留意する必要がある。1つの問題は、構造やプロセスの評価はあくまでも治るか否かによって医療の質を測ることが困難であるために考えだされた2次的な指標である、ということ。もう1つの問題は、プロフェッションの方の都合でコストを無視した形で基準がどんどん高くなってしまう点である(『日本の医療』)。たとえば、資格を取得するまでに要求される養成期間を長くすればするほど技術レベルは上がるかもしれないが、それに要するコストも確実に高くなってしまう(『生活のなかの経済学』)。また、分業すればするほど各々の専門分野に特化できるので技術レベルはやはり高くなるが、医療サービスを提供するためにはそれだけ多くの職種を抱えることが必要になり、コストはやはり上がってしまう。さらに大きな問題は、一旦プロフェッションとしての専門分野が確立すると、他者を排して独占的にそのサービスを提供し、それに対して高い報酬を求めるようになることである(『日本の医療』)。
 以上のように、手放しでアメリカにおける状態をモデルにプロフェッションの制度の確立を求めることは日本の社会には現実には無理な課題であるので、むしろ病院組織としての責任体制の確立が求められてもいる(『日本の医療』)。

 本章ではここまで、日本の医療の質についての問題点をあげてきたが、はじめでも述べたように日本の医療は諸外国と比べて優れている点も多い。その1つとして、国民皆保険が確立し、受診するうえでの経済的な障壁がほとんど存在しないという点があげられる。もともと日本の医療政策における基本的目標は、質よりも量を確保し、それによって受診しやすい環境を形成することであった。厚生省は最近、「量よりも質の時代」を唱えているが、医療費抑制が優先し、また依然として受診機会の均等が重視されているので、スローガンだけで終わってしまっている感があるのも確かである。
 しかしながら、受診のしやすさ以外でも、ここでは述べないが、母子保健や検診などの日本の医療の優れた面がある(『日本の医療』)ということを、忘れてはならない。

結論

 日本の医療機関は圧倒的に民間が多く、また医療保険はたくさんの保険者に分かれていて、しかも支払いは出来高払いで行われている。各診療行為の単価は診療報酬体系によって統制できているが、点数を改定する際は中医協において診療側の合意を得る必要がある。こうした条件下では、本来ならば医療費を抑制することは非常に困難なはずであるが、1980年代においては医療費の伸びを国民所得の伸びの範囲に留めることに成功している。
 こうした実績を前に、官僚組織としての厚生省の力を過大に評価する傾向がある。確かに厚生省は診療報酬を決定する中医協の事務局として、改定するために必要なあらゆるデータを独占的に活用できる立場にあり、また大蔵省との連絡調整にあたるなど中心的な役割を演じている(『日本の医療』)。
 だが、こうした条件は医療費が高騰していた1970年代においても備わっており、むしろ医療費の抑制を可能にした根本的原因は、医療のレベルを欧米先進国並に引き上げるという目標が昭和50(1975)年頃に一応達成され、1980年代にはそれに代わって行革による財政支出の削減が優先されるようになったことにあるのではないかと考えられる。そしてその結果、「医療費の自然増」を差し引くなどの診療報酬の引き上げを極力抑えるような方針がとられるようになったのであろう。
 こうした政策転換が実現できたのは、次の5つの条件が満たされていたためだと考えられる。まず第1に、中医協が決めた診療報酬体系がすべての保険者に適用されるという価格の完全統制が可能であること。第2に、診療報酬をトップダウン方式で改定する方法が確立されているため、方法論を巡って、診療側と支出側が対立するということがないこと。第3に、医療保険制度の先導役としての役割を果たしている政管健保に対する国の助成割合がその保険料率にリンクしているため、保険料率を上げない限り国の負担率を上げられないこと。第4に、財政当局のほうが診療側よりも大きな力を持っており、医療費の総枠を求める交渉を有利に展開できること。そして第5に、老人医療費の負担が按分されているため、各保険者の財政状況はほぼ同じであること。
 このような条件が順々に満たされていくことによって、日本の医療保険制度は一見ばらばらに分かれているようであるが、実は黒字体質の組合健保と、赤字体質の国保の中間に位置し、厚生省が自ら運営する政管健保の財政状況によって診療報酬の引き上げ幅を実質的に決めてきたといえる。そして、政管健保の財源は保険料と国の助成の両方に依存しているため、財源枠を増やすうえで二重の障壁が存在している(『日本の医療』)。しかしながら、医療費抑制という基本的な枠組みの中では、複雑な制度を操作することにより、診療側や支払い側のさまざまな圧力や政治状況の変化に柔軟に対応できているといえる。
 そして、医療の質が問題となっている5つの点についてその原因を分析した結果、それらは医療費が抑制されたためだけによっておこるわけではないということがわかった。
 1点目の「3時間待って、3分診療」は、患者が質が高いと判断した病院に集中するためであり、これは医療費が抑制されたためではなく、その制度上に問題があるのだと考えられる。第2点目の情報不足も、お金の不足によって起こるわけではなく、医師に限らず、外部に情報を開示したがらない日本人の習性に原因があると考えられる。第3点目の見劣りする病院環境については、前の2つのことがらとは違って財源の不足が原因であると考えられ、それを解決するためには私的病院により多くのお金を投入する必要があると考えられる。第4点目の医学研究についても、その問題の一端は財源不足にあると思われるが、硬直的な大学医局の制度や研究費分配の方法の改革を行わなくてはならないと思う。第5点目のプロフェッションとしての質の問題であるが、日本の医師をはじめとする専門職者は標準的な知識を体系的に修得するように養成されておらず、また専門医の資格も、同僚によるプロフェッションの評価も、制度として十分に定着していない。このことが原因であると考えられるため、これも医療費の抑制が根底にあるとは考えられない。
 以上のように、医療の質について問題とされる原因は全て医療費の抑制によるものではないということが分かったが、それでも医療の質と医療費の抑制に深い関わりがあるのは確かだ。そして、医療費の抑制による財源の不足に由来するひずみが明らかである場合については、それなりの対応が必要なのではないか。そして、その問題を解決しつつも、世界的には低い水準でとどまっている日本の医療費と、平等な体制の骨格を今後も維持し、少しでも不満の声が少なくなればよいと思う。そして、これからも私達に安心してかかれる医療の場を提供してほしいと思う。

参考文献

  1. 『平凡社 大百科事典』1・9 平凡社  
  2. 『知恵蔵1996』 朝日新聞社  
  3. 『ジュニア朝日年鑑 社会統計1996・1997』 朝日新聞社  
  4. 星野一正 『医療の倫理』 岩波新書  
  5. 池上直己、J.C.キャンベル 『日本の医療』 中央公論社刊  
  6. 伊東光晴 『生活のなかの経済学』 朝日新聞社_

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