我は海の子



文部省唱歌
作詞作曲者、諸説あるが不詳

一、
我は海の子白浪(しらなみ)
さわぐいそべの松原に、
(けむり)たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家(すみか)なれ。

二、
生れてしおに浴(ゆあみ)して
(なみ)を子守の歌と聞き、
千里(せんり)寄せくる海の気(き)
(す)いてわらべとなりにけり。

三、
高く鼻つくいその香(か)
不断(ふだん)の花のかおりあり。
なぎさの松に吹く風を
いみじき楽(がく)と我は聞く。

四、
丈余(じょうよ)のろかい操(あやつ)りて
行手(ゆくて)定めぬ浪まくら、
百尋(ももひろ)千尋(ちひろ)の海の底
遊びなれたる庭広し。

五、
幾年(いくとせ)ここにきたえたる
鉄より堅(かた)きかいなあり。
吹く塩風(しおかぜ)に黒みたる
はだは赤銅(しゃくどう)さながらに。

六、
浪にただよう氷山(ひょうざん)
(きた)らば来(きた)れ恐れんや。
海まき上(あ)ぐるたつまきも
(おこ)らば起れ驚(おどろ)かじ。

七、
いで大船(おおふね)に乗出して
我は拾わん海の富
いで軍艦(ぐんかん)に乗組みて
我は護(まも)らん海の国


解説:この歌は、2番か、3番までしか広く知られていないが、実は七番まであるのである。(MIDIは、3番まで収録)
作詞作曲者不明とあるが、北欧・児童文学者である古宮晃一郎氏(1882〜1945)が小樽新聞記者当時の1908年、文部省の新体詩懸賞に。「海の子」という詩で応募。佳作当選し、これが文部省唱歌になったという説と、国語学者で小学唱歌の作詞委員長などを務めた芳賀矢一氏が作者とする説などもあり、現状では「作詞者不詳」となっている。
 この歌は1914年(大正3)の「尋常小学唱歌」(第六学年用)に登場、以後、43年の「初等科音楽四」まで、ずっと六年生用の歌として教科書に載り続けたが、大東亜戦争(太平洋戦争)後、
GHQの圧力により、三番まで文部省唱歌として、小学校六年生用の歌として教科書に載っている。