福澤諭吉の書籍

西洋衣食住
学問のすゝめ
文明論之概略
西洋事情

「福澤先生関係資料」常設展について
慶應義塾中等部は,1992年、創立45周年を迎えました.それを記念して図書室において
「福澤先生関係資料」と題して福澤諭吉に関する資料展を開設しました。
展示内容は、福澤諭吉の初期の出版物(慶応3年−明治初期に慶應義塾から出版された書物)とそれらの書物のために彫られた木版が主なものです。これらの版木は、130年以上前のものとして貴重なものですが、現在も数千枚慶應義塾に保管されています。その中から中等部では中等部にふさわしいものを170枚選んで交代で展示しています。この170枚の版木の中には「学問のすゝめ」の書き出し部分や「西洋衣食住」の全19丁、「慶應義塾姓名録」、「アルファベットと数字のシート」など興味深い版木があります。特に「西洋衣食住」の場合、全19丁(本紙部分のみ)が揃ったので専門家に摺りと製本をお願いして”再摺り版「西洋衣食住」”出版することにしました。この出版に際して、福澤研究の第一人者である慶應高校の佐志傳氏が解題を書いてくださいましたので、転裁します。



二百年間の鎖国の闇からようやくさめた江戸時代末期に、三度も欧米に行くという希有な経験を持った人物がいた。それは福澤諭吉である。かれは、当時の日本においては、もっとも斬新な知識と豊富な経験を持った外国通だったといえる。その三度目の外遊を終えた時、ある事情があってしばらく閑暇を得たので、福澤は外国へ旅行する人のための手引き書を二部執筆した。その一つは「西洋旅案内」といい、これは世界地図から始まって船賃、為替、保険等のことを説明した、割合本格的なもので、もう一つは初めての一人旅でも不自由しないようにとの心遣いから、西洋人の基本的な生活様式である衣服(の種類や着方)、食事(食器の種類やマナー)、住居(寝室の家具や調度品)などについて、分かり易く絵入りで説明したのがこの「西洋衣食住」(題言一丁、本文十九丁)であって、明治維新の直前の慶応三年(一八六七)十二月に出版された。ー中略ー
ところでこの版木は、慶應義塾の所蔵する数千枚に及ぶ版木を、中等部の杉本聰子・大澤輝嘉両教諭が、文字通り埃と汗にまみれて整理分類された結果、ついに福澤諭吉の著作の内、本文全丁(表紙の題箋を除く)の版木の揃うものを選び出すことに成功した、努力の結晶とも言うべきものである。ー中略ー今回、上野寛永寺の執事、浦井正明氏(三田出)の紹介で、専門職の関岡扇令氏によって、このようにみごとに刷り上げられ、また神田の秦川堂の永森譲氏(稲門出)の後輩、山田大成堂山田慶七氏により、ゆかしい製本装幀を得られたことは、まさに縁を感じるばかりである。なお、現在この「西洋衣食住」の版木一式は、慶應義塾中等部図書室に保管されている。

学問のすゝめの版木(明治5年のもの)
「天は人の上に人を造らず天は人の下に人を造らずといえり」の書き出しで有名なこの『学問のすゝめ』は、明治5年2月から明治9年11月の足掛け5年にわたり初編から17編が出版された。
原則的に各編は独立したテーマについて記述されており、たまたま18編以降が執筆されなかったという、いわばパンフレット的性格を持った著作である。近代科学的学問の推進にとどまらず、その内容は政治、経済、人間交際論と多岐にわったって、当時の日本国民のすすむべき道を説いた著作である。
12編では学校の規則に関して次のように述べている。
「風紀が正しく取り締まりの行き届いたのも学校の長所には違いないだろう。だが、そんな長所は、学校としては最低の長所にすぎず、いっこう自慢になるものではない。(中略)学校の急務として、たかが取り締まりのことなどを問題にしている間は、たとい取り締まりだけは成功しても、決してそれで満足するわけにはいかない。」
(『現代語訳 学問のすゝめ』伊藤正雄訳 社会思想社刊 より引用)

明治8年の刊行で全6巻からなり数ある福澤の著訳書の中で最も体系的なものとされ、執筆にもかなりの苦心がはらわれた。
西洋文明の概略を記し特に儒教流の古老に訴えて、これを味方にしようとの腹案があったといわれている。西洋文明が必ずしも至善とはいえないまでも、現状ではそれは最先端にあるといわざるを得ず、どうしても学ぶべきものであるが、それも取り入れやすい外の文明より難しい中の文明、すなわち文明の精神というか人民の気風をさきにすべきであるとする主張で、そこの独立の気力が求められ、それによってこそ国家の独立も期せられるとする内容である。
第8章「西洋文明の由来」、第9章「日本文明の由来」では、東西両文明の歴史の比較をしている。特に第9章の「概して云へば日本国の歴史はなくして日本政府の歴史あるのみ」は有名で、西洋では諸勢力の拮抗から文明が発達したが、日本では権力の偏重と固定化によって、歴史を含めた文明の発達が阻害されている、という1つの史論が述べられている。

福澤諭吉の数多い著作の中でも、『西洋事情』は、のちの『学問のすゝめ』『文明論之概略』とともに、代表3部作とよばれる名著である。文久2年(1862)にヨーロッパに渡ったときの経験をもとに帰朝後3年あまりの調査研究を経て、慶応2年にその初編が刊行された。
西洋社会の制度や実態および理念などについての一般的な紹介に始まり、アメリカ、オランダ、イギリス、ロシア、フランス、ポルトガル各国の歴史や当時の現状の記述が、その中心的内容である。
そのころ、およそ西洋の文明を説いて開国の必要を論ずる者は、朝野の区別なくこの『西洋事情』を読んでいたといっても過言ではない。事実、徳川15代将軍慶喜は、この書を読んで大政奉還を決断したといわれている。

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