慶應義塾は、小学校から中学校、高校、そして大学・大学院まである大きな学校です。慶應義塾中等部(以下、「中等部」という)は、この慶應義塾の諸学校の中で、初めて男女共学を実現した学校です。慶應義塾では、小学校から高校までの学校を「付属校」とは呼ばずに「一貫教育校」と呼んでいます。みな慶應義塾の伝統を受け継いでいますが、それぞれに創立の経緯が異なり、それぞれに特徴があるからです。
さて慶應義塾の歴史は、1858年にさかのぼります。当時はまだ中津藩の藩士だった福澤諭吉が、江戸の築地にあった藩邸に開いた蘭学塾が発祥です。福澤は、近代化を迎える激動の時代に西洋諸国と肩を並べるためには、国を支える一人一人の人間が真に独立していなければならないと考えました。新しい国家の船出に際して福澤が掲げた「独立自尊」の理念は、慶應義塾全体の教育の根幹です。
中等部は、およそ170年にわたる慶應義塾の長い歴史の中では比較的新しく、1947年に開校しました。戦争が終わり、新しい自由な時代の幕が開けた頃のことです。慶應義塾には校歌と呼べるものがいくつかありますが、中等部では慶應義塾の校歌である「塾歌」に加えて、1948年につくられた「中等部の歌」を歌います。この歌は、折口信夫の作詞によるものです。その歌詞には「来たれり 今や 自尊の世代」という一節があります。新しい時代の若者たちを「自尊の世代」と謳い、中等部はスタートしました。戦争で壊滅状態となった日本という国が真に自由と平和を願い、もう一度新たな出発地点に立った時でもありました。
中等部はこの新しい時代の二つのスタート地点に立った志を伝統の礎としています。つねに時代の新しい入り口に立つ気概をもった古い学校、つまり「古くて新しい学校」なのです。
中等部は、創立に当たって「自立した個人を育む、自由な」教育を理念として高く掲げました。それは現在でも教育の根幹に位置付けられています。自立した個人に求められるのは「自分で考える」「自分で判断する」「自分で行動する」、そして「その結果に責任を持つ」ということです。それを可能にするのが本当の意味での自由であると考えています。
例えば、中等部には制服がありません。「べからず式」の校則もほとんどありません。式典や校外での活動では「基準服」と呼ばれるものを着用しますが、平常の通学時の服装はバッジを付けていれば原則として自由です。こうした意味で、中等部では生徒一人一人を独立、自立した一人の個人として大人扱いします。学校生活では、常に自分で考えて自主的に行動することが求められています。
もう一つ例をあげるなら、中等部では生徒は先生を「さん」付けで呼びます。これは福澤が、目上目下を問わず、誰に対しても「さん」付けで呼んでいたことの影響でもあります。また、教室には生徒を見下ろすような教壇がありません。さらに、教員室には生徒が自由に出入りできます。いずれも生徒と教員の間にある垣根を極力なくして、自由にコミュニケーションがとれる環境を作ろうとする工夫と言えます。
もちろん、自由だからと言って、何でも許されるわけではありません。お互いの尊重と信頼という基本的な人間関係に基づいて、それぞれの立場から自由に交流できる風通しのよい学校を目指しています。中等部では、草創期から「できるだけ明るい学校にしよう」という考えを大切にもってきました。明るい学校には、生徒同士・教職員同士・生徒と教職員が、それぞれ自分の意見を自由に表明できるような人間関係が基本になります。それぞれが輝き、それぞれがお互いの輝きを認め合い、大切にしあうことが、私たちが目指してきた明るい学校です。
このような理念のもとに、中等部では、「授業」「校友会活動(クラブ活動)」「学校行事」を教育の3本の柱としています。中等部は、受験を目標にする学校ではありません。したがって、勉強では過度に他と競うことを目的とするのではなく、基本的な学力と幅広い教養を身につけることを目的とする学校です。
また校友会活動、学校行事といった、たくさんの活動を通して、個々の生徒は様々な能力と創造性を高め合います。これがのちに社会で共生できる力につながっていきます。さらに、これからの世代は、多様な価値観を認め合う社会を生きていくことになると予想されます。そして現在、それに対応するための新しい学びが求められています。
中等部では、こうした新しい学びに対して、生徒が教職員と共に取り組むことができる学びの環境を展開していきます。中等部という学びの場において、生徒が自ら答えを見つけ出していく力を育くむことを目指しています。
中等部は、自由で楽しい学校です。「独立自尊」に根ざした、本当の意味で楽しい自由な学校です。中等部の自由でのびのびとした明るい校風の中で、じっくりと時間をかけて自分を磨き、慶應義塾の一貫教育をとおして、社会の先導者となるための力を養っていただきたいと考えています。不確定要素の多いこれからの時代が続きます。そのスタートに立つべき先導者を育てていくことが、中等部の使命です。